9月13日(月)

昨日12日(日)はありがたいことに大盛況で、
ランチでカレーがなくなり、夜は店を閉めました。
それで、夜、ひと組のお客さんがいらっしゃって、
「カレーなくなりました」の看板を見ると、
「なるほど、だから空いているわけだ…」的な
発言をされていたようです。
キッパリ言います。夜は常にガラガラでーす!
だから、またのお越しをお待ちしております。




本日は早朝にテープ起こし。仕込み。営業。
上で「夜は常にガラガラ」と言ったけど、
今日はサーファーの団体さんが。感謝。
これから風呂に入り、地獄のテープ起こし。




スラヴォイ・ジジェクポストモダン共産主義』読了。
右翼にせよ左翼にせよ、従来の政治運動はイデオロギーにこだわってるからダメなんだよ、まぬけ!
って思っている僕は、ジジェクのおっさんにど頭からドヤされてしまった。
「肝心なのはイデオロギーなんだよ、まぬけ!」と。





最近ちょっと、読書について考えることがあって。
もし「これは素晴らしい」と思える本に出会ったとしたら、
即「己がバイブル」にするのではなく、一度相対化すべきだ。
相対化の作業を経ずに即絶対化(=バイブル化)してしまうことは愚かなことだ。
読書における相対化は、そりゃもう、読みまくるしかない、ってことだろう。
とりわけ、「素晴らしい」と思った本に対抗する内容の本は読んどくべきで、
その上で「やっぱ素晴らしい」と思うのか、それとも思い直すのか、
どっちに転ぶにせよ、この相対化の作業はやっとくべきだ。
それをしないなら、いっそ読書なんてしない方がいい、というのは言い過ぎかもしれないけど、
中途半端な読書は、場合によっては、人を貧しくしたり、
判断を誤らせたりすることもある、ということを最近感じた。
旬な話で言えば、地球温暖化問題なんてのもそうだし。
それと、教祖の著書を切っ掛けにカルト宗教へはまっちゃう人、ってのも、
貧しい読書が一因であるような気がする。